東北、田舎、美食住

仙台から秋田県鹿角市に移住した私の雑記ブログ

年の差恋愛の切なさは結局「年の差」にあるんです

彼が50歳になった。

 

「年上の男性の方が安心感がある」だの、「父親超えなきゃOK!オジサマ大好き!」だの、君たちは「年を取ることの悲しさ」を現実的に受け止めることができるのだろうか。

年を取ること自体は悲しいことではない。

私だって、年を取るほどキレイになっていきたくて頑張っているし、実際若いころよりも変なこだわりが無くなって人生がどんどん楽しくなっていると感じる。

なんならむしろ「いつか死ぬ」と思えばどんなことも辛くなくなる。

それをきれいごととも思わない。

けど、年の差恋愛においては年を取ることが悲しいことになる。

だって先に死なれるから。

思い出の共有ができないとかね、そんなことはもうどうでもいいんです。

それよりも、これから積み重ねる時間の短さを考えると悲しい。

それよりも、先に老いていく彼の姿を見るのが悲しい。

誰にでも訪れる「老い」とか「死」とか、自分がそうなるのは良くても、家族や愛してる人がそうなる姿を見るのって悲しい。

どんなことを言われても、それが人間ってもんだ。

自分が30年生きてみると、30年とはすごくあっという間で大して長くないことを思い知る。

それから、1日1日がいつまで生きてもそんなにドラマチックにならないことも思い知る。

この先、私たちが一緒に過ごせる時間ってきっと他のカップルよりもすごく短くて、金婚式とか銀婚式なんて迎える前に死んじゃって

なんなら私は結構若くして未亡人になるかもしれない。

まだ若い私は、そういう別れがすごく不安だし怖いし、考えるだけで寂しくなる。

じゃあなんで一緒にいるんだよ、って聞かれたらそれはもう好きだから仕方ない。

あー、人生って仕方ないことだらけだなー

もうこれが答えだよね。

「仕方ないこと」が人生には付きまとうんですよ。

どうやってその仕方ないことと折り合いをつけて生きてくのか。

つきませんよ。折り合いなんて。

でも最近読んだ漫画で

「寂しいことを寂しいと感じたい」みたいなセリフがあってね。

なるほど、と思った。

悲しいと思う気持ちにも、幸せって感じることと同じようにちゃんと受け取ることって人間らしさを失わないコツなのかもしれない。

ちょっと話がそれるけど、引き寄せの法則とかがんばってる人に多い「どんな小さなことにも感謝!!」みたいな感謝の押し付けが苦手な私。

なんで苦手なんだろう?と思ってたけど、たぶん悲しいとか寂しいとかを無視してとにかくハッピーな状態でいろ、みたいなのに違和感ってことなんだな。

底抜けに明るい人が苦手なのも、こういうところなのかな。

暗い部分があったり、嫌な気持ちを持ったり、それでこそ自然な気がする。

だから彼がいつか私より先に死ぬのはめっちゃ悲しい!!!!なんであと10年早く生まれなかったんだチクショー!!!!!!

と、声を大にして言いたいね。

そんなに年の差が嫌なのに、どうして付きあったかって?

「年の差以外に嫌なところがひとつも無かった」からですよ。